親の死に目にまつわるパラダイムシフト

 

· 雑記

海とピッツァは現在、臨時休業させていただいてます。

岡山に移住してピザ屋をやる、という生き方に人生の舵を切ったわけですが、そんな折、父が入院しました。親とは、もう少し元気でいるもんだと勝手に思っていたので想定外のことでした。でも仕事は辞めちゃったし、今さら後へは引けません。それで僕は、予定どおり移住も開業も突っ走ったわけですが、父の身体は徐々に弱っていきました。

どうにかピザ屋をオープンして、地元や、少し離れたところからもお客様は来てくれて、雑誌の取材なんかも受けたりして、さあ、これから!って時に父が危篤になりました。医師の見立てでは、もう明日まで持つかわからないと。僕は予約のお客様にお詫びの電話を入れ、店を臨時休業にし、父のもとに向かいました。信頼を裏切ったようで心が痛むのですが、お客様は理解と励ましをくれました。

そうして今、父のもとに来てから6日が経とうとしています。

一度呼吸が止まって、いよいよかと家族を招集したわけですが、そこから父は持ちこたえました。でも少しずつ、確実に死へと向かっています。コロナ過であるにも関わらず、皆で父に会わせてもらい、意識はすでに無いようですが声をかけ、手を握ったり頭を撫でたりして、父との残された時間を共にしています。不謹慎と思われるかもしれませんが、僕たち家族は看取った後のことをアレコレ決めたり、手配したりする時間もあって、心の準備も何となくできてきて、そういう時間を用意した父はなかなか出来た人だなと思いました。

親の死に目に会えないのは悪いことだと、とかく日本人は考えがちのように思いますが、今まさにそんな立場にいる僕は、その瞬間などはもうどちらでも構わないのではないかと、そのように思います。だって皆忙しいし。その瞬間に立ち会えなくても、父のことを考えたり、話したり、父をできるだけ楽に送り出したいと願う、そういうことが全て看取りなのだと感じます。だから僕は父を思いながら動ける範囲で映画を見たり、髪を切ったり、一杯飲んだりして、その時を待ちながら東京生活を過ごしています。きっとそれを父も面白がっているでしょう。

そんなわけでもう少し、臨時休業いたします。

ご不便をおかけします。